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The last rose of summer〜らんまんより〜 [ドラマ]

万太郎かわいい。

「あ、ザ・ラスト・ローズ・オブ・サマー、夏の最後の薔薇、と唄うちょりました。

けんど、この歌は景色の歌じゃない。
きっと本当の意味がありますきに。

愛するものなくして、誰が、たった一人、生きられようか」

きっと本当の意味がありますき。

080608_0931.jpgちょうど、らんまんの寿恵子くらいの適齢期頃に私は末期癌の身内の看病をほんの少しだけ手伝った事がある。

なんだかねぇ、同僚からも上司からも適齢期なものだから、先ず「男の所に通っているのだろう」と噂され、
看病と判ってからは「実の親でもないのに止めておけ。それより男を探せ」と諭された。

超ムカついた。

身内は既に実務上たった一人で両親の介護を終えてからの、連れ合いの看病だった。
一人にしては置けない、と若くして(笑)直感したし、短い間でも、この国ではまだまだ大っぴらに語られないままの辛さの一部を知ることができた。

寝たきりの患者側は食べさせて貰うので、食卓は共に出来ないが、食事を共にしている感覚がある。
しかし介護側はほぼ、食べさせるだけで手一杯で、自身は一人きりで適当に食事を済ませ勝ちとか。
そこに一人加わるだけで、三人での食事に変わるのに。
(どうせなら今後は部屋子さんらに介護当番作るべきだよ。患者も仕事の話が出来るからボケないメリットもあるし、聞く側の芝居にその血が通うはずだから。)

兄弟が多くいる時代には考える必要も無かった"三人目"を、一人っ子独り身が思い付くチャンスは少ないと思う。
なのに、自分の落ち度として人は自分を責め苛む。
気づいたが最後、愛する人をそんな苦界に落としていた事に何年も気付かなかった自分を許そうとしない。
当時一人っ子の従兄弟から「お前が思うよりずっと、本当に感謝している。必ずこの恩は返すから。約束する」と頭を下げられてびっくりした。

自身が成功を収め脚光を浴び、華やかな宴の席に居た頃、その人はずっと一人飯で、盆も正月もなく、何年も何年も。
義兄も復帰を果たせたのだからきっと、と希望を持って。

その果に末期ガン宣告と、セクハラ報道が襲ったら?
たった半年前に従兄弟のがわわはどうなった?
絶望するなと言えんでしょうが。

私には、この国のあちこちでこれから先どんどん重くなって行く問題に見える。
一人っ子独り身だらけだし、兄弟が居ても協力が得られなければ、一人っ子独り身と同じだ。
もっと言うなら、協力が得られなければ結婚していても独り身と同じ。

その刹那、彼は「家族に寄り添う」事を選択したのではないか。
敢えて自身に罪を着せる余計なことをしている、その理由は。
少なくとも、発見した当日、一般人なら会社休んで事情聴取で周りも労ってくれるし、泣き続けていても許されるだろうが、役者は何事も無かったかのように舞台に立たねばならんのだろう?
その異常さをこそ、役者の鏡とか、褒め讃えられつつ、家族なのに異変に気付かなかったのかとこき下ろされるのだろう。

愛する者亡くして、誰が、たった一人、生きられようか。

当代随一の千両役者が金も名誉も投げ捨てて家族に寄り添ったなら、現世にそんな人物が現存していることこそがミラクルだ。
撮り直しなんて、止めて。


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