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天の敵-再演 [舞台]

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美しく形だけを残して枯れている。

どうやら原型が2010年に上演されていたものが、「天の敵」としてブラッシュアップされてた模様。 
正しくは再々演?

前回より席が遠かったためもあるが、"ある"ものが届かない事が、
目の前で起きている、という舞台の醍醐味をあっさり私から奪ってしまい、
より強く前回に感じた記憶が蘇ったことで、恐ろしく虚実入り混じる観劇となった。
ある意味このポスターのごとく。
マスクと気温低下による鼻詰まりのせい?それとも…まさか。
5年前と変わらない浜田さんの佇まいは特に観劇ではなく、大画面で録画を視聴してるみたいな、あるいは記憶の録画再生のように、リアルタイムな手応えがなかった。
それは演劇という創作物ゆえ、ではなく、自分自身の変化に拠るものかも。無感性。

和夫の最後の選択は前回よりも、より「人間らしく」いたいか否かというより、人間として生きられる限界を、尊厳の重要性をより強く感じた。
自分のやり方が社会的に容認されてシステムとして継承されてゆく事に嫌気が刺した感が、日光の克服で極まっていた。ノクス?
122歳。絶妙な数字。
戦国時代なら50歳なのだから、十分に日本国民の平均寿命は、とゆうか大多数がその限界を超えて生きている。

もう人間らしく生きる方が無理なようにも思えて来る。
でも、作中の台詞の通り、体が選ぶ事というのもあると思う。

去年は本当に不謹慎ながら「死ぬどんどん」な年で、実母の葬儀の最中に伯母の実妹が亡くなった。
こちらもコロナではなく、健康だった人が誤嚥性肺炎での入院以降、誤嚥への恐怖から食事を採れなくなったという。
一気に老化が進み、彼女を慕う家族は胃ろうを決断、ようやく説得したと聞かされていた。
食の楽しみを失った長過ぎる延命、の副作用が少し怖かった。

だが、滞りなく葬儀終了の連絡を入れたところ、手術の前日に当たる我が母の葬儀中様体が激変、急死されたと告げられた。
術前の処置の何もかも行う前だった。
緊急事態宣言下、仲の良い義姉妹なのに参列を断ったのだが、実妹の葬儀にも参列を断られて最期のお別れも叶わぬまま、立て続けに妹二人を失った伯母の悲嘆の激しさに言葉にはしなかったけれど、妹さんの心は胃ろうを受け入れはしたが、体がそれを拒否したように思えた。
尊厳というものが、人を生かしも殺しもする。
自分と生きていく事が苦痛になってしまうから。

そして、やっぱり人は人間らしく食べなければ駄目、という想いを観劇で新たにする。
昨晩思い立って仕込んだ無限キャベツを今日食した。
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